見よ、私が手にある杖でナイルの水を打つと、それは血に変わる(出エジプト記7:17)
12月に入ると一斉にクリスマスムードで世は満たされる。
ローマの統治下ヘロデ王の時代。
ユダヤのベツレヘムでイエスが誕生のとき。お祝いムードとは全く真逆の事件が起きていた。
それは2才以下の男の子をひとり残らず殺させた故です。(マタイ2:16)
「その訳は」異教の三人の学者が星に導かれて王を訪ねて言った。
ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか?
これを聞いたヘロデ王は不安を抱いて言った。
そこで、祭司長や学者たちを集めてメシヤがどこに生まれたかを調べさせた結果ユダヤの地ベツレヘムであることを確かめた。
一方、天の使いが夢でヨセフに現れて言った。
「起きて子供と母親を連れてエジプトへ逃げなさい。ヘロデがこの子を探して殺そうとしている」(マタイ2:13〜15)
ヨセフは起きて夜のうちに幼子と、その母を連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。(マタイ12:13〜15)
◆ところが、イエス誕生の千五百年も前にも酷似した事件がエジプトでも起きていたが、世間ではあまり知られていない。
それは当時の王パロは「ヘブルの女に分娩させる時、産み台の上を見て男の子であれば殺さなければならない、しかし女の子であれば生かしておくように」と助産婦に命じた。(出エジプト記1:15〜16)
その時、神は救いを備えられました。
女は身ごもって男の子を生んだが、その麗しいのを見て、三月の間隠していた。
しかしもう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂を塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中に置いた。
その姉は遠く離れて立ち、その子に何が起こるのか知ろうと見ていた。
するとパロの娘が水浴びしようと川に降りてきた。
彼女は葦の中にかごの有るのを見て仕女をやり、それを取ってこさせ空けてみると子供がいた。
見よ!幼子は泣いていた。
彼女は可哀想に思って言った
「これはヘブル人の赤ちゃんです」
彼女はその子を引き取りその名をモーセと名付けて言った。
「水の中から私が引き出したからと」(その後王の娘に養育され帝王学を修めた)
時は経ちモーセが八十才の時、数奇な運命を経た彼を神は召され圧制下、奴隷のように酷使されてきた。
そのイスラエルの民200万人にも及ぶ脱出記録が克名に全章に亘り記されている。
それらの中心とも言える「過越の祭り」の原点が何であるのかが、出エジプト記12章2節にあった。
”この月をあなたの初めの月とし、これを年の「正月」としなさい”との言葉に当時20才であった私は惹きつけられたことを思い出す。
日本人古来の慣習である「年越〜正月元旦」の神事の原点がここにあるのではないかと・・・以来日本の神社の諸々の形態を、幕屋の諸事が驚くほど酷似しているのを見せられ今日に至っている。
「過越」はそれらの芯とも言える。
◆過越:神の裁きが人の住む家を通り過ぎることを意味する。神はその血を見て過越す。(出エジプト12,13)
◆その日:正月十日に家ごとに子羊を取り四日間出発の準備をし、即ち14日に子羊は殺された。
◆その血:家の門柱と、かもいに子羊の血をヒソプに浸して塗られた(日本ではヒソプの代わりに松飾り)
◆その肉:火で焼いて食べ、パン種の無いパンと苦菜と共に食べなければならない。(お餅や煮締の携行食)
これらの項目を家ごとに慌しく出発の準備をし、腰に帯を締め、足にサンダルを履き、手に杖を持ち云々(出エジプトより12:11)
以上のような点を総合して考察する時、大晦日の慌ただしい切迫感や正月元旦を迎へる日本古来の慣習とが似通っていて驚かされる。
◆尚又「屠蘇」について
<屠>はほふるの意で動物を屠殺するに用いる。
<蘇>は草かんむりに魚と禾とから成っており、魚は死に満ちたこの世に生まれ、塩水(罪)に浸透されない復活のキリストを表しており。
禾は大麦パンを表している。
従って十字架の死と復活を表徴している。
その辺の語源はヨハネ福音書21章に詳細が見られる。
その9節に陸に上って見ると、炭火がおこしてあり、その上にパンと魚が乗せてあり、と9節に見られる。
◆人の誕生と死
例外なく人は皆、母の胎(子宮)から破水して生まれる。しかし女はそれ以前初潮から閉経まで生理的な現象として排卵〜神秘的な受胎をいやおうなしに経験する。
毎月血を見ない訳にはいかない。
男の汗と同じく女は陣痛の苦しみが運命づけられている。(創世記3章16,19)
神の子が人の子として33年半歩まれたイエスは受難の末、何の罪も見いだせなかったにもかかわらず十字架で処刑された時。
ローマの兵隊により槍で脇腹を刺した!
すると血と水が流れたとヨハネ19:34に記している。
その時昼の12時頃、全地は暗くなり、三時まで続いた。
太陽は暗くなり、光を失った。
又、神殿の垂れ幕が真ん中から避けた。
とルカの福音書22:45に記している。
”見よ。世の罪を取除く神の小羊だ”ヨハネ1:29
