聖書の冒頭、創造週第四日目「それは徴(しるし)の為」季節のため、日の為、年の為、神は二つの光体を作り、大きい方を昼、小さい方は夜、又、星を造られた。(創世記1:14〜16)と
人類の始祖ユダヤ人、それは又、イスラエルと神から改名させられたアブラハムの息子ヤコブ。民数記24章17節に「一つの星がヤコブから出てきて「王の杖」がイスラエルから起こる」と予言されている。
尚又。小預言書ミカ書5章2節には「イスラエルを治める者があなたの内から私のために出る」と言っている。
しかしながら、四千年の歴史を持つユダヤ人、神が約束された乳と蜜の流れる良き地に定着したにもかかわらず、部族間の数々の争い、南と北の分裂、さらにローマ軍に占拠され、世界の国々へ離散、流浪の民となった。
◆三人の異邦人、星占術者
東方の三人の星占術者たちは、異様に輝く星を見出した。この異邦の異教の人々はその星に導かれてエルサレムに着いた時。ふと「王の杖」なる言葉を預言書から思い出し、当時のヘロデ王の所へと、さらに詳しい情報を得るためか立ち寄って王に尋ねた。
”ユダヤ人の王としてお生まれになったお方はどこにおられますか?”と。
「するとこれを聞いたヘロデ王は”不安を抱いた”。エルサレムの人々も同じように当惑したとマタイは二章三節に記している」。
ヘロデ王は自分の立場が脅かされる不安からその心境には納得できるものの、エルサレムの人々も何故当惑したのか測り知れない。いにしえからの待望の星、メシヤの到来をなぜ彼らは戸惑ったのか?
結果的に王の命令により、ベッレヘム近郊の二才以下の男の子を一人残らず殺させた。(マタイ2:16〜18)
一方神は、夢でヨセフに告げた。
”起きて子供と母親を連れてエジプトへ逃げよ”と2章13節〜15節にある。これら二つの事変は、ヘロデの元を訪ねた異邦人が起因している事実を想うと。東方の三人が星から目を離すことなく、地を見ないで、寄り道しないで歩んでいたなら、ベッレヘムに直接到着していたであろうことが想定できる。之は現代の私たちに多くの教訓を与えてくれる。
◆皮肉な現実
「一つの星がヤコブから出て来て」この輝かしい予言された当のヤコブの子孫は、華麗極まるエルサレムの神殿で奉仕する祭司、律法学者。神の選民ユダヤ人の誰一人その星を見いだせなかった。
彼らは、キリストがどこに生まれるか、聖書の文字を読み知識として良く知っていた筈が・・・皮肉にも異教の人々が星を通して生けるビジョンを受け、距離的には遥かに遠く離れたベッレヘムに正確に導かれた現実を直視しなければならない。(マタイ2:9〜10)
◆明けの明星(啓示録22:16)
キリストは最初に来られたときは公に星として現れました。しかし二度目の来臨の時は”明けの明星”として来られる。
未だ暗闇が明けやらぬ直前に輝く星として。目を覚まして待ち望んでいる人たちは見る!ペテロ第二の手紙1:19節には「夜が明け、明けの明星があなた方の心の中に昇るまで、暗い所に輝く灯火として、よくよく心に止めておきなさい」。と
これらの教訓から学ぶべきことは、教会に何年も通っていても。聖書を読み知識、教理を知っていても、伝統的教会、神学者、聖職者に従属していても、ユダヤ人のように明けの明星を見ないかもしれない。
それは夜明け前の最も暗い時(大患難の直前)に目を覚ましている勝利者たちに密かに現れる故です。
・註:勝利者について福音書房刊、回復訳聖書、全ページ解説付に詳述。
私はダビデの根、子孫であり、輝く明けの明星である。(黙示録22:16)今日、星はその霊と共にあり、花嫁と共にあり。その霊のあるところに星も有り、花嫁、即ち召会のあるところにその星もある。