あなた方の耳が鈍くなっているので・・・再び神の言葉の初歩を教えて貰わねばならず。
又、固い食物の代わりに乳を必要とする始末だからです。(ヘブル5:11〜12)と。
ユダヤ教から転向したクリスチャンに対してパウロは警告している。
これらの未熟児の特徴は、争い、怒り、ねたみ、分裂分派等。現代の偶像(S・S・G)への際限なき興味、関心が強く霊的成長を妨げている。
●注:S:スクリーン、ステージ S:スポーツ G:際限のないグルメ指向。
又、コリント人に対して、自分の豊かな知識を知恵を誇りとしていた。しかし、肉に属する信者は多くの教理を知り、霊的真理を人に与えることさえ出来ても自分自身は<霊的>ではなかった。(コリントI、1:10〜13 同2:6〜16)
この様な信者に対して「神は愛する者たちのために備えてくださった。それは・・・目が見たことも無く、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだことのないものを」(コリントI、2:9〜10)
◆死んだら天国へ
前述のような流れの中で、クリスチャンに限らず、多くの日本人も”死んだら天国へ。とか、天から見守ってくれる”等の考えが普辺化してきた。しかし”人が避けることのできない死は”、自動的に生来持っている自我、仏教では108もある煩悩、聖書では生まれながらの性質、(肉)は何一つ解決しないまま死に至る。
”死は全て終わり”との安易な都合の良い考えが定着しつつある今、絶対的な権威である神の言葉は一つの明確な示唆を与えてくれる。
◆十人の乙女の譬えの奥義(マタイ25:1〜13)
死後のクリスチャンが、王国に於いて婚宴に招かれていたが半数の五人が門を閉ざされて入れなかった。その致命的な言葉は、自分の器の中(魂の三部分、即ち、知、情、意)に油を十分に蓄えていたか、否かの問題なのです。
十人は皆灯火は持っていても”イザ花婿だ!”と叫ぶ声を聞く時、生前、時間の中でその油を準備し的確に着実に為されてたかが決め手となるのです。
アンドリュー・マーレーは、(キリストのみ霊)の中で言っている。
”神の霊に於いて、人は内住の神を持ちます。神の力が人の体の中に内住され”み父”が意図され、”み子”が得られたものを”聖霊”のとり成しと活動により造り込まれるのです”と。
◆完全な救いの三段階
第一段階。<人の霊の救い>。
すべての人の中にある、生来の罪の性質のために贖罪を果たされたイエスを信じるものに与えられる客観的救い。
第二段階。<魂の三部分、知、情、意>
バプテスマされても、人の魂は先祖伝来の罪業によって汚染されたままで、嘘や憎しみ、妬み怨み等、前述のような罪の胚芽が潜んだままこれらを悉く拭い去らせなければならない。これこそ生きている間に果たすべき最重要課題である。
そこで第一段階で入って来られた聖霊は、人の霊の中で輝く灯火、神ご自身です。(Iヨハネ1:5)
この光が輝くために油としての神の霊は、芯として人の霊に浸透し、共に燃えなければならない。怠らず励み、霊に燃えて主に仕えなさい。(ローマ12:11)
「あなた方の内にある光が、あなたを暗闇にならないように用心しなさい」。(ルカ11:35)これが人の内側で完成されなければならない魂の造り変え。即ち主観的で内側の救いです。
第三段階。(人の体の変ぼう)
二つの段階を経て始めて「聖別」聖化が完成する。
「そして平和の神ご自身が、・・・私たちの主イエスキリストの来臨のときに責められるところの無い者にして下さいますように」(テサロニケⅠ、5:23)
”主の栄光を見つめつつ、・・・栄光から栄光へと主と同じかたちへと造り変えられつつ・・・それはまさに霊なる主からです”(Ⅱコリント3:18)
●朝ごとに、剃る毎に、思う。根深いエゴのヒゲ