〜裁き〜永遠への門!

◆第一の死
死は終わりではなく、一つの始まりである。
人の一生は短い、そして、その生涯は死によって終わる。・・・しかし死んだ後に永遠がある。この永遠は死が入口〜門だ!
人はこの時代に行ったことは、なんであれ永遠に於いて裁かれる。多くの人々は犯罪を犯す。然し法律上の刑罰や、世論の恥辱をなんとか逃れるかも知れない。一旦死ねば刑罰に遭はずに済むと思っている。
然しながら<死>は決して万事の終わりではなく、あらゆる事は必ず<裁かれる>。人は罪の中に生まれ、罪の中に育ち、又罪の中に生きている・・・そして死ぬ!
「神はあらゆる行為を、あらゆる隠された事と共に、善であれ、悪であれ、裁かれる」。伝道の書12:14。ヘブル9:27参照・新約の主題(II)476Pから引用

◆天のみ座の光景
一筋の火の流れがみ座から出てきた。・・・千々万々の者がみ前に立ち、裁く方が法廷に座し、数々の書物が開かれた。と審判の光景が描かれており。(ダニエル7:10)
キリストの再臨の時には、生けるすべての人々が裁かれる光景が描かれている。(マタイ25:41)
それは、「羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を<右>に山羊を<左>に置く」。
一方死んだ人々の裁きは、黙示録20:11〜15節に。
又、「死人が大いなる者も、小さな者も、み座の前に立っているのを見た。そして巻物が開かれたがそれは”命の書”で、死人はそれらの巻物に書かれた事により、彼らの行ないに従って裁かれた」。

かくしてアダムから(律法以前の人々)から。律法時代〜恵みの時代(現代)に至る、すべての人々の裁きが決められている。
その他、裁きの詳細は全聖書に亘って詳細に記載されいてる。

◆裁く方が裁かれる
夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち(宗教指導者)一同は、イエスを殺そうと相談した。
そしてイエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。(マタイ27:1〜2)
彼は頑固で過酷な人物であったと言われ、ユダヤ人から好意を持たれず、その政治は腐敗したと伝えられていた。
特にその残忍性を証しする記事がルカ13:1に記されている。又、イエスを無罪と認めながら、ユダヤ人の強硬な要求に屈して、ローマ皇帝から不興を受けることを恐れ、イエスを十字架につけるべく鞭打ってからユダヤ人に渡した。(マタイ27章他マルコ、ルカ、ヨハネにも克明に記している)。
尚又、ピラトの妻からの伝言があり、それに動かされた面が見受けられるのを見逃せない。結局、ユダヤ人の群衆とローマ皇帝、さらに妻の間に立って判決が揺らぎ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、私には責任がない、お前たちの問題だ」と記している。
後に、彼はイエスの弟子で反逆したユダと同じ、総督の任を解かれ自殺した。

註・アーカイブ2020年10月、“その時”一人の女と男。参照

聖歌<635>
裁きの日は 近づけり
審の日来たらば 正しき者と
不義なる者は ことごとく分かたれん
備えは如何にや 裁きの日の為に 備えは如何にや 人々よ!
悲しき日は 近づけり悲しき日来れば
イエス言われた 不義なるものよ去れ
我は知らず!と

<634>
夜の終りラッパ 鳴り渡る時
世はとこ夜の朝となり 救われし者は
世の隅より すべて主の元に呼ばれ
その時 我が名も その時我が名も
呼ばれなばなばかならずあらん!