天と地、その中のすべてを創造された唯一の神。地に住む人々の間には多くの神々が存在する。イスラエルの民がエジプト(この世の象徴)で奴隷から、モーセによって脱出。シナイ半島北東部に達し十一カ月間滞在した。
モーセと長老たちは40日40夜の間、山に止どまり神の言葉をまっていた時。この世のものとは思えないラッパの響きを伴う地震、雷鳴の中、山全体が煙に覆われた。
モーセはそんな中で神から石の板に刻まれた十戒を授けられた。
その第一条、第二条は偶像に関するもので、
<一>他の神々を持ってはならない
<二>刻んだ像を造ってはならない。それに伏してはならない。それに仕えてはならない。
とある。ところがモーセが山に登ったまま下りてこなかったので、ふもとで待つ民は待ち切れず、「金の仔牛像」を造り、それを囲んで食べ飲みして、踊り狂っていた。
◆偶像の定義:お客さまは神様だ!
人は目には神を見ることができない故か、目に見える偶像を欲する。それは形を変えた木や石で形造られた様々な像。それに最も身近な金銭、学問、良い企業、より良い車、家や衣服、妻であり夫、子どもたち等、これらすべてが偶像になり得る。すなわち、人が神以上に愛するもの、生活の中で神に置き換わるもの。これらすべてが該当する。
黙示録二章4節には、旧約時代の民が堕落したのと同じことが、新約に入ってもエペソの教会の中にあったことが示唆されている。
二つの素因
(1)神以上に、神の代わりに愛するものに傾倒
(2)異教の習慣に従って歩む
異端と淫行は両輪のように、更に偶像にささげられたものを食べ、性的不道徳は事実上、異教礼拝の一部となり、異教祭礼に於いては当然のこととして認められていた。アルテミスやその類する神々の女祭司たちは公然たる淫売婦であった。(神殿娼婦)
◆この世とのつながり
或る牧師は、この世の社会から、教会の存在を認められることが本分であるかのように、福祉の仂きや社会奉仕に力を注ぐ。
旧約の民の歴史は、偶像に置き換えられ、悲惨な物語とも言える。それは神たる夫から離れて、サタンの妻として選んだ結果として腐敗堕落した悲惨な歴史。そこから回復の曙光を預言者を通して見える。
その端緒となったのが異性とのの姦淫に見る。涙の預言者エレミヤは、随所にそれを描いている。その三章二節。「目を上げて、裸の丘を見よ、あなたの姦淫をしなかった所がどこにあるか」?・・・と連綿とつながっている。
背信の女イスラエルがおこなった事を見たか?
彼女はすべての高い山の上、すべての茂った木の下に行って、そこで姦淫を犯した。(エレミヤ3:6)
◆歴史は繰り返す
創世記三章に始まった人が神から離れて、サタンの誘惑に陥り(エデン)。古代バビロン~ローマ帝国に至るまで、各時代に亘って人はこの世の君サタンと腐敗縁となり、夫婦として歩んで来た。
その結びつきで最も顕著な兆は$であろうか?個人も国も。今や世界を$が席巻している。一$紙幣の裏、三角形の中の目は何を意味しているのか?表裏一体となって人を誘惑し、支配し、滅亡へと追いやっている。
これらの渦中にある人々を救う計画を聖書は一貫して叫んでいる。
この世の君サタンは、人の三大欲求の中の食欲と性欲を、現代も尚、同じパターンで誘惑している。エデンでの人の選択が失敗した結果は、神との離婚。以後、神と置き換え偶像と結婚。苦悩の悲惨な歴史を繰り返して来た。「あなたの造り主はあなたの夫であり」。とイザヤ54:5
エレミヤは3:12に、「子たちよ(背信の)と呼びかけ神の元へ帰れ」と告げられる。