よき羊飼

◆百五十篇からなる詩篇

膨大なる詩集の半数がダビデ王の作詩で、彼の名はその生涯にわたり、神を愛し、賛美しつつ生涯を送った。その中心思想は全知全能の神に依り頼め。が全編を通じてきわ立っており、嬉しい時も恐怖にも、如何なる時にもまっしぐらに、ひたすら神により頼みつつ、喜びの声をあげ、叫んだ。

使徒パウロの言う。”主の中でいつも喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。”(ピリピ4:4)の、ことばのようにその23篇は、牧者の詩篇と言われ、旧約で最も愛された歌であった。

この世のどの時代に、有名な哲学にも増して、悲傷を慰め、いやす魅力を持つ。

又、あなたとあなたの友人たちが世の終わり迄歌い続けられ、更に王国に至って尚、更に高らかに合唱する一人として加わることを願い祈ります。

◆牧者なる復活のキリスト

詩編23篇(一部文語体)

  主はわが牧者なり、我乏しきことあらじ、

 主は我を緑の牧場に伏させ、

  憩いの水辺に私をともないたもう。

 主はわが魂をいかし、み名の故に我を正し

  き道に導きたもう。

 たとい我死の蔭の谷を歩むとも

  わざわいを恐れじ。

 主は我と共に居ます故、あなたの棒と

  あなたの竿、それが我を慰めたまわん。

  :(棒は保護、竿は訓練の為)。

 私の命のあらん限り、必ず恵みと憐れみが

  我にそい来たらん。我は日々、いつまで

  も主なる神の家に住まん。

 ⁑命のある限り:現代とやがて来たるべき時代

  、それと永遠の時代を指している。

 ⁑死の蔭の谷:人生の諸問題と苦難の時。

◆羊の門(ヨハネ10章1~21)

<罪>は盲目を生み、その結果は<死>です。九章の盲人の癒やしに續きパリサイ人に語られた。

当時の人々は、イエスが救い主であると告白すると、会堂から追放されることを恐れた。

九章に続いて羊(人々)の<囲い>と<門>について語られた。「私は羊の門である。私より前に来たものは皆、盗人であり、強盗である。・・・私は門である。私を通って入るものは救われる。・・・・私は良い羊飼いである。よい羊飼いは羊の為に命を捨てる。・・・私は羊のために命を捨てる」。又「私には、この囲いに入っていない他の羊もいる」。その羊も導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける」。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れとなる。(10:1~16)

要約すると、<羊の囲い>は律法の表徴でユダヤ教で、キリストに至る迄の養育係。信仰によって義とされる為に、一時的に保護されていた。故にユダヤ人にとっては囲いから出る門となり、現代の信者は羊として入る門となる。こうして羊たちは、出たり入ったりして緑したたる牧場で養われる。

羊たちは、冬の厳寒期や夜間の暗い時間、囲いの中で守られなければなりません。囲いで保護されていたのは過渡的、一時的であり、緑したたる牧場でそれを享受するのは最終的で、しかも永久に養われます。

ガラテヤ書三章23~25節、四章3~5節。

筆者は四十年間この囲いの中で養われ、保護されてきました。しかし60才の時、この囲いの門から呼び出され、出て来た証人です。

以後30年余り、老後の一般的な生き方としてのボランティア、趣味、旅行等などによってエンジョイする計画でしたが、それらの中途で投げ捨て。羊の囲いから緑の牧場へと導き出された一匹の羊です。

囲いの中での四十年間の数十倍もの、霊的な祝福を毎日味わい、30数年がアッという間に過ぎ去ってしまいました。

一般のクリスチャン生活で、味わうことの出来なかった聖書のみことばなる牧草を、毎日食べ、生ける水で養われている今日、この頃です。

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