神の選びと予定

子どもたちがまだ生まれておらず、善も悪も行っていないのに・・・「わたしはヤコブを愛したが、エサウを憎んだ」とローマ九章11節~13節にある。
この言葉に戸惑い、理解に苦しんだ。?しかも名指しに。
しかしエペソ一章4~5節には「天地が創造される前に、神は私たちを愛の中で、み前に聖く傷の無い者になるようにと、キリストの中で私たちを選び」とある。
そこでこの難問を解くために創世記25章の、ヤコブとエサウの出生物語を読み直すと、驚いたことは、この祖父はアブラハムで母はサラ。兄のイシマエルと弟のイサク。そしてイサクとリベカの間に生まれたのが(兄エサウ)。
(弟ヤコブ)何れも兄弟間で争いが起きている。一方は現代も尚続くイスラエル対アラブの争いの源であり、もう一方は<長子権>の取奪の争いに見られる。。
尚又、同じ三十八章26~30節にはペレヅとゼラの双子の出産時、実に滑稽な程長子に生まれる時のエピソードがある。

◆人の選び
最初の人、アダムに対してサタンの<誘惑>は、食欲に関してであった。第二の人、イエスに対しても食欲に関して投げかけた。食べることは、人をわなにかける為に用いる最も有効な手段である。イエスは40日間も断食した後、空腹の極に至った時サタンは来て言った。「神の子なら、これらの石が<パン>になるように命じたらどうだ」。イエスは答え、人はパンのみで生きるのではない。神の口から出るすべての言葉によって生きる。と答えられた。第二の誘惑は神殿の屋根の端にイエスを立たせ、「神の子なら、飛び降りてみなさい」。と<奇跡>を行なわせようと誘惑した。がイエスは断った。しかしこの答えは、「あなたの神、主を試してはならない」と書いてある。
第三の誘惑は、高い山に連れて行き、下界に広がるこの世の繁栄する街を眼下して・・・サタンの要求は、「ひれ伏して私を拝むなら、之を皆与えよう」と言った。するとイエスは言われた。サタンよ退け!「あなたの神、主を礼拝し、只、唯一の神のみに仕えよ」と聖書に書かれている。
これら三つの誘惑に悉く失敗したサタンはイエスを離れた。マタイ4:1~11
多くの人々も、この世の荒野で、毎日毎年、生存競争に負けてはならない!暗黒の力に流され、ついに生涯続く。それは個人、企業、国々の間でもひそかに抜けがけ、足を引っ張る。丁度母の胎内の長子権を得るための争いのように。ガラテヤ1:15も参照。

◆この世の君・サタン
罪を犯すものは、悪魔から出た・・・悪魔は最初から罪を犯しているからです。神のみ子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼす為である。(I・ヨハネ3:8)
聖書はこの罪の根源を明らかにしている。天と地を創造された以前に、神に反逆したサタンが存在した。その後に人が創造されエデンの悲劇が起こったのは、余りにも遠く古い起源である故か、最も身近な生と死の現実を当然のこととして受け容れてしまった。しかし人には選択する自由が與えられている。その最高の特権を行使して善悪ではなく、命なる神を選択しなければならない。しかし、この特権さえも神は決して強制されない。

◆狭き門・神への回帰
女が男から出るように、男も女を通して出る。しかし、万物は神から出て神を通して存在し、神に帰する。この世には多くの道がある。曲りくねった道、デコボコの道、狭い山坂の道等あるように。人生の道を選び、歩む最高最善でそれが永遠へ至る道は如何に!
「狭き門から入りなさい。崩壊に至る門は広く、その道は幅広い。そして、そこから入って行く者は多い。命に至る門は狭く、その道は狭いので、それを見出す者は少ない」。(マタイ7:13~14)。
その目的は相続の権益をもつ長子にある故です。ローマ八章28節~30節にその確かなみ言葉に見出す。