空っぽの幕屋!!

「その時、<雲は>集会の天幕を覆い、神の栄光が幕屋を満たした。」(出エジプト記40:34)

これはシナイ山の麓で、神の住まいとして地上の幕屋が建造されたときのことばでした。
ところが、この幕屋の本体である「証の箱」が持ち出され、幕内より外へと分離してしまった悲惨な歴史があるのです。(サムエル記(上)4:9〜22参照)

それはペリシテ人(パレスチナの呼称の起源)との戦いで、イスラエルは戦況が不利になってきたので、幕屋の中の聖櫃を戦場に持ち出したのでした。
この「箱は」見えない神の証であり、見える人となられたキリストを予表しており聖書の重要な鍵です。

故に、箱のない幕屋は中身のない、本質がない伽藍堂。この本尊たる箱を自分たちの安全や癒しの為にあるのではなく神の尊い「永遠のご計画」を推進するためのものでした。

◆転々とした箱
奪われた箱は偶像の宮(タゴンの宮)へ持ち込みタゴンのそばに置いた(サムエル記I.5:1〜8.詳細に興味津々。)
次の日に朝早く起きてみると、タゴンは箱の前でふつ伏せに地に倒れていた。彼らはそれを元のところに戻した。次の日の朝、彼らが早く起きてみると、タゴンが神の箱の前で、うつ伏せに地に倒れていた。その上タゴンの頭と両手は切り離されて、敷居の上にあり、タゴンの胴体だけが残されていた。

神のみ手はこの地の人々の上に重く臨み、人々を腫物をもって討たれ、恐れ悩まされた。

この地に住む人々は、この有様を見てイスラエルの神の箱を、我々のところにこれ以上、止どめて置くことは出来ない。と音を上げてしまった。次にその箱を「ガデ」(現在のガザ)に移した。彼らがそれを移すと、主の手がその町に臨み、そこで又大騒ぎとなり、その町の人々にも老若を問わず腫物ができた。そこで彼らは次にエクロンに送った。しかし此々エクロンでも大騒ぎとなり腫物と死の恐怖に襲われ、その叫びは天に達した。と言っている。

結局、神の箱はペリシテの各地をめぐり七ヶ月間止どまった。(地中海に面した西海岸の地)
箱の扱いに万策尽き、二頭の牛車を仕立て箱を載せ、牛の手綱も付けないで進むがままに任せて見守っていた。(その顛末はサムエル(上)六章に)

◆神殿破壊と箱の行方
宇宙にある人の視界に入る全ては、見えない霊的なものの象徴である。旧約にあるあらゆるものは、予表としての来るべきキリストを指し示している。
例えば<太陽>は地上のあらゆる生き物に必須の光としてキリストを象徴し(マラキ4:2、ルカ1:78〜79)<空気>は人の鼻から息として吹き込まれた。(創世記2〜7)<水>は渇くものは来て飲みなさい。と(ヨハネ7:38)<食物>については私は天から下ってきたパンである。と(ヨハネ6:35)

しかしながら、ユダヤ人の誇るあの荘麗極まる<神殿>もその中心に置かれた<証しの箱>もローマ軍タイタスに依ってAD70年破壊された。
箱も持ち出されその所在は不明である。

ああ、私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去り見えないものは永遠に存続する。とコリントⅡ4:18節に言う。
又、古いユダヤ教の中に浸された人々へ。「食べること、飲むこと、祭りや、新月や安息日の事で・・・・これらは来るべきものの<影>にすぎづ、その本体は<キリスト>にある。」コロサイ2章16〜17。に明記している。
夜はもうすぐに来る。暮れて往く黄昏の時を捕らえよ、夕日が西へ移り、空が赤く染まり灰色に、最後の一線なる光陰はまもなく消えて逝く。

●言(ことば)<キリスト>は肉体となって、私たちの間に幕屋を張られた。(ヨハネ1:14)