神聖なる神の自己紹介

神は、イスラエルの民をエジプトで奴隷状態から救い出すため。モーセを召命された。
その時(出エジプト記3:15節)に「わたしは在る」である。
他の訳は「わたしは有って在る者」。と即ち永遠に何時までも存在する神ご自身の名である。
尚、コリント人への手紙の宛名には(在る神の教会)と(I)1:2、(II)1:1。更に黙示録二章〜三章に亘って、七つの教会への宛名には。
エペソに在る教会、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある教会とそれぞれ明記している。
この在るこそ神の存在の根拠であり、その名となっている。
在るの相対語は無であることに若き詩人八木重吉の霊性に流石と感じさせる。

●我キリストに在りと思いし日より
キリスト我にありと思う日までの遠かりしことよ(肺結核で20才にて没)

◆姦淫の女とイエス(ヨハネ八章から)
「その顔立ちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていた。・・・彼には私たちの見るべき姿が無く、威厳も無く、慕うべき美しさも無い」。とイザヤ書52:14と53:2に見る。
しかし現代に見られる聖画にはその顔立ちや容姿は、まるで程遠いのは何を物語るか。

そのイエスは公生涯に入られて間もなく、宮に坐して人々に教えられた。そこに律法学者やパリサイ派の人が姦淫の現場で捕らえられた女を連れてきて真ん中に立たせイエスに言った。
「先生この女は姦通の現場で捕えられました、モーセは律法の中でそのような女は石打で殺せと命じています。ところであなたはどうお考えですか?」・・・彼らはイエスを訴える口実を得るためにこの難題をぶつけた。

イエスは指で地面に何かを書きしばらくして言われた。
「あなた方の中で罪を犯したことの無い者が、まずこの女に石を投げなさい」。と・・・八章の長い最終の句、58節、「するとイエスは言われた。はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から(わたしは在る)」
するとユダヤ人たちは(石)を取り上げイエスに投げつけようとした。(参照〜誰でも情欲を抱いて・・・マタイ5:28併読)
・註:罪の主要な三要素は姦淫、殺人、うそであり、神から生まれたのが正常な子、サタンから生まれたのが姦淫の子

◆空っぽの墓(マタイ28:1〜6から)
週の始めの日、マリヤは夜が明けやらぬとき墓に行った。すると大きな地震が起こった。
それは主の使いが降りてきて<石>を脇に転がし、その上に坐ったからである。その姿は稲妻のように輝きその衣は雪のように真っ白であった。彼は言った、イエスはもう此処には居られない蘇られた。
さあ、イエスが納められていた場所をご覧なさい・・・九節に”すると見よイエスが彼女たちに出会い「平安あれ」と言われた。彼女たちはイエスの足を抱き、ひれ伏した”
十三節にはユダヤ人たち祭司長たち長老たちを集めて協議した後、多額の金を兵卒たちに与えて言った。
夜、弟子たちがやってきて我々の眠っている間に彼を盗んだと言え。
万一この事が総督の耳に入っても、あなた方に迷惑をかからないようにする。
彼らは金を受け取り教えられた通りにした。

◆明けましておめでとう!
元旦は新しい年の始まりであり、西暦はアンノ・ドミノ即ちADはキリストの誕生を起算点としている。”神は光あれ”と言われると光があった。これは天地創造の時の神の言葉。
創世記一章二節にある。人の子の誕生も然り、それは羊水で囲まれた子宮(何故宮なのか?)の中から破水し生まれ出る赤ちゃん、何れも暗闇と水、そして光、イエスの”死と復活”がその原点に存在する。

附記:日本の伊勢を始め宮崎県、丹後や信濃の各地にまつわる神話伝説には天照大御神が祭神で、岩戸にお隠れになった話は古来から在る。
天の児屋の命(祭司)は岩の中にお隠れになった神に出てきて頂く為に唱えたと伝えられる、ヒー、フー、ミー、ヨー、イー、ムー、ナ、ヤー、ココノ、トー、はヘブル語が原点に在ることは確かなようだ。カゴメ・コゴメのわらべ歌と共に。

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