礼拝 Worsip Servis

古代から人は、その対象はマチマチながら、何かを崇め、拝みたい、との願望が内側にあった。
その対象となる神、佛、偉人、賢人、又、龍、蛇、狐等の動物や自然の事物等多岐に亘っている。
聖書にはこれらの人の内側から起こる願望の原点を掲示している。

「エホバの言葉の託宣、天を延べ、地の基を据え<人の霊>をその中に形造られた」。とゼカリヤ12の1に明記する。

人は一番奥の部分に霊があるので、何かよくわからないが超人的な対象に礼拝する欲求があり、文明、非文明を問わず存在する。
故に神社では二礼、二拍、鈴を鳴らす、賽銭等々。お寺では合掌し頭を下げて拝む、イスラム教は祈る方角、時間、回数ひれ伏す等々。キリスト教に於いても同様に昔からの伝統、形式化し儀式化してしまっている。

これらに共通しているのは、昔から受け継がれているが、礼拝する者が、その本質を正しく理解して参加しているか否かの問題がある。
特に祈りに関しては、自分の健康や結婚、受験、商売繁盛などの願望を主としたものが大半ではなかろうか。
神が望んでおられる礼拝とは何であるか?
最も古い聖書を紐解いてみたいのです。

◆アブラハム(父)〜(息子)イサクの献身
信仰の父アブラハムは、神による命の受胎(変装の神)参照。に依って与えられたイサクが、青年に達した或る日、神はアブラハムにその一人子イサクを燔祭として捧げなさい、と言われた。
アブラハムは朝早く起きて、ろばに鞍を置き、二人の若者と息子イサクを連れ、ささげ物の為の薪を割り、立って、神の告げられた場所(モリヤの山、現在のシオン)へ出かけた。

彼らは神の告げられた場所に来た、父アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子をしばって祭壇の上に乗せ、刀を取ってその子を殺そうとした。その時!天から「アブラハムよ」との声に彼は答えて「ハイ、ここに居ります」と、「あなたの手を息子の上に伸ばしてはならない、あなたの息子一人さえ惜しまず我に与えたので、あなたが神を恐れていることを知った」。その時目を上げてみると、見よ後ろに角を藪に引きかけている一頭の雄羊がいた。そこで彼は行ってその雄羊を取り、それを息子の代わりに燔祭のささげ物として捧げた。(創世記22章2〜13節)

◆ヤコブの井戸<一人の女性との解逅>
BC-926年、イスラエルはヤラべハムによって、南王朝と北王朝に分裂した。ゲリジム山は北朝側にあり、ヤコブの井戸もそこにあった。水汲みに来た女は井戸端に腰を下ろして休んでおられたイエスに「私共の先祖はこの山で(ゲリジム山)礼拝しましたが、あなた方はエルサレムにあると言っています」。と、礼拝場所について尋ねている。(ヨハネ4:20)

イエスは、女よ、わたしを信じなさい、あなた方はこの山でも、エルサレムでも無い所で父を礼拝する時が来る。・・・それは<今>である。

「神は霊であるから、礼拝する者は<霊>と<真>を持って礼拝しなければならない」ヨハネ4:24
注:<霊>とは人の中にある霊を指す(エペソ2:22参照)<真>とは実際のささげ物としてのキリストを指す

この霊なる神に触れるには、外側の場所ではなく、人の中にある霊を活用して、実体としてのささげ物であるキリストの中で礼拝するべきであると言われた。

◆主の晩餐の制定(マルコ14:22〜24)
イエスは(パン)を取り、それを祝福して裂き、彼らに渡して言われた。「取りなさいこれはわたしの体である」又、(杯)を取り、感謝を献げて渡された。彼らは皆(飲んだ)。
斯くして神のみ子を<飲む>こと、<食べる>ことが新約時代の今は、神に触れる唯一の道であり、神に対する真の礼拝であることを示された。

◎この価高きパンと杯(神の言)を食べ飲みする時、始めて霊的五官が機能する。

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