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◆天が開けて
一人の血気盛んな若者が家出し、泊まる家もなく石を枕に一夜を過ごした時。<天が開けて>、一本の「ハシゴ」が地上に立ち、頂点が天に達している夢を見た。
そして、神のみ使いたちが昇り、下りしている壮大な光景を記している。(創世記28:12)

又、新約のヨハネ福音書1章51節に、イエスは弟子のナタナエルに言われた。「ハッキリ言っておく<天が開けて>、神のみ使いたちが<人の子>の上を上り下りするのを見るであろう」。
更に、使徒行伝7:55には、「ステパノは聖霊に満たされ、<天を一心に見つめていると>、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た」。と、夢ではなく、反対者たちの怒号と石を投げ打たれる中で、天を見つめつつ、殉教死を遂げた。
その他、黙示録4:2にヨハネは、<絶海の孤島に流刑された時>、天が開き、私は神のビジョンを見た。又、捕囚になった時、神のビジョンを見た。と、エゼキエルは1章1節に言っている。

◆ウリムとトンミム
出エジプト記には。あなたの裁きの胸当てに、ウリムとトンミムを入れなければならない。と言う。しかし創世記の始めは、神と人との間の交流は直接であったが、人は堕落の坂を転がり落ちた後は、間接的にしか交わることが出来なくなった。
そこで神は、ベスト様の<エポデ>とその上に<胸当て>を作らせ、大祭司が着用した。
ウリムの構造は、胸当ての中へ12の石があり、挿入された発光体が、イスラエルの十二部族の名の入った宝石を照らし、輝かせる構造でした。
しかし、悲しむべき堕落は拡散し、遂に北と南とに分裂し、形式的になり、儀式化し、神との交流手段も途絶え、いわゆる、宗教化してしまった。(註)バビロンに捕囚となった時代にこれは消失した。

◆新約時代<キリストの誕生以後>
旧約時代(キリスト誕生以前)。創世記で見たハシゴの夢が実際となった。それを<受肉>と言う。肉眼では見ることが出来ない神が、人の肉体をもって誕生した故です。
このキリストの誕生は、地上に住む人が死から脱出する信仰、一過性の命から永遠の命。
又、地から天へ至るハシゴ。「わたしは道であり、実際であり、命である。わたしででなければ誰も、父の元へ行くことが出来ない」と、ヨハネ14:6に言う。

人としてのイエスは、33年半の時間のハシゴを通して。それは”誕生〜十字架〜復活〜昇天”と、荒野の地から天への道を切り開かれた。
この歴史的な事実を信じる信仰。人の一番奥の間にある<人の霊>。ここにこそ天へのハシゴの起点がある。
その故は、人の<体>はいずれ腐敗する。善と悪の間を常に揺らぐ<魂>。その思いは常にゆらぎ、感情も、意志も共に連動する、風にゆらぐ川辺の葦のようだ。

◆内住のキリスト。(ローマ八章九節〜十三節)神の霊があなた方の内に宿っている限り・・・・。
キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなた方の内におられるならば、体が罪によって死んでいても「霊は義」によって命となっています。
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなた方の内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなた方の中に宿っている<その霊>によって、あなた方の死ぬ筈の体をも生かして下さるでしょう。
もし、肉に従って生きるなら、あなた方は死にます。然し、霊によって体の行いを死に渡すなら、あなた方は生きる。(共同訳)
註:<ウリム>は、照らす〈光〉としてのキリストの予表であり。<トンミム>は父なる神の<象徴・証>しとしのキリストを表している。
<エポデ>は、キリストの現れを示し。<胸当>では教会を予表する。<キリスト>は<その霊>を通して、又、十字架を通して照らす!

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