◆三人の預言者(BC8世紀〜6世紀の初期)
・<ミカ>は5:2節に、ベツレヘムにイスラエルの(支配者)となる者が出てくる。と言い<イザヤ>は11:1に、(一つの芽)がエッサイの切株から出て、その根から出た一つの枝が実を結ぶ。と言う。(来たるべきキリストは、<ダビデ王>の父エッサイの切株から出る芽。その芽から出る枝)イザヤ11:1
しかしながら、神の選民としてのイスラエルの民は、神から離れ、堕落の坂をころがり落ち、その木は切られてしまい、切株と根だけが残った故に。
又、<エレミヤ>は23:5〜6節に、”見よ!その日が来る”とエホバが言われる。その時、わたしはダビデに一つの<義なる若枝>を起こす!と。それぞれ神からことばを託された。
◆明けの明星
イエスの父ヨセフ、母マリヤはダビデの子孫、王家の一部分であったが、貧しくなり、低い階級の人々となり、卑しめられた地、ガリラヤの町ナザレに住んでいた。
新約聖書の冒頭、マタイ一章一節に、イスラエル王国。王家の系図から始まる。初代のアブラハムから始まって、十七節までの四十二世代目に。ヤコブはマリヤの夫ヨセフを生んだ。
このマリヤから<キリスト>と呼ばれるイエスが生まれた。とある。
ローマ書が書かれたAD60年頃、パウロは一章二節に、この福音は、神が既に預言者たちを通して約束されたもので、<み子に関するものです>と言い。
又、ギリシャ人で医者であったルカも一章26節〜33節に<受胎告知>を。35節に、聖霊があなたに降り、いと高き者の力があなたを包むでしょう、それ故、生まれる子は聖なる者、<神の子>と呼ばれる。と告げている。
更にAD90年頃、ヨハネは追放され絶海の孤島パトモスで記した黙示録、その最終22章16節には。”わたしイエスは・・・ダビデの根又子孫であり、<輝く明けの明星>である!”と記している。
◆神との同一化
すべての人は母の胎から生み出されて来る。
その胎内は最も安全で、全く受身で羊水によって温められた環境。しかも浮遊状態でほぼ十ヶ月間生きる。註:アーカイブ。死海での浮遊状態をほうふつさせる。
この環境は、あたかも、神が人に備えられた”エデンの園”の原型と言える。即ち、(神と一体)胎児はそこで安定し、生長発育し、安住し、出産を経て旅立つ。母と胎児は全く同居、一体化の状態。人の世界のような境界は無かった。
そして時が満ち。陣痛なる強い力によって押し出され行く、それに伴う流動感や圧迫感。息詰まる感じを経て肺呼吸に切り替わる。
又、へその緒の切断による分離不安、恐怖感が一気に押し寄せる。そして赤ちゃんは精一杯、声をハリ上げて泣き叫ぶ!
これがすべての人が歩み始める現実の人生!
斯くして、毎日、毎週、毎月、毎年繰り返しながらやがて終息する。
◆すべての事には時がある!
生まれる時があり、死ぬ時がある。泣くに時があり、笑う時がある。愛する時があり、憎む時がある。天の下にはあらゆる事には時がある。日は昇り、日は沈み、その昇った所に急ぐ、風は南に行き、北に転じ続けて進み、やがてその巡るところに変える。
すべては空であって、風を捉えるようなものだからである。★ダビデの子、ソロモンの回想録より
◆受肉の時
言(神)は肉体(人と同じ肉体)となって、私たちの間で幕屋(宮)をはられた。(ヨハネ1:14)
神は、すべての人に、母の胎内での原体験なるエデンへの回帰。永遠の命(不朽不滅の命)を備えられた。それはイエス(人)キリスト(神)の誕生であり<受肉>と言う。
・赤ちゃんは生まれ出た時、手のヒラを握り締め生まれ出る。
しかし、死ぬ時それをゆるめる!と某は言う。
・・・荒野の果てに夕日は落ちて
妙なる調べ天よりひびく

