乳と蜜の流れる地・カナン

地中海と死海(海は死の予表)に挟まれた地。
その地は山が多く高地である。(この高い地と山は<復活の昇天>キリストを予表しており、その地は湧水が多くその地は動物、植物の鉱物も豊かに産出されて人の堕落後”第二のエデンの園”とでも言はれる地であった。)
アダム、エバが楽園を追放された後、アブラハムの世代になった時、堕落した人達の築いたバビロン(メソポタミア)の影響を受けた人々。
その中から神は一人の信仰のあついアブラハムを召された。創世記12章1節。「その地から・・・出てわたしがあなたに示す地へ行きなさい。」・・・そこでアブラハムは神が語られたように・・・カナンの地へ向かって出て行った。
こうして彼らはカナンの地に来た。これの予表するのは、今の信者も現在の堕落したこの世から「良き地」天の王国えもたらすことなのです。

◆あぁエルサレム。荒れ果てたカナン
ノアの洪水後、最も巨大な国となったバビロン王国。ネブカデネザル王II世は、更に西側に攻め、遂に”イスラエル王国”へと侵入した。
又数々のエピソードを刻んだ「モリヤの山」。ダビデ王の息子ソロモンが建造した神殿。それを囲む城壁と12の門、壮麗を極めた黄金の装飾美品や器物は無残にも破壊され、略奪されてしまった。
現在も一部残されている崩れ落ちた石垣、嘆きの壁の前でユダヤ教徒の祈る姿が見られる。
これらの原因となったイスラエルの民は、天地万物を創造された神から離れ、人の手で造った偶像の神々へと転向した。神の選民の状態は腐敗堕落し、揚句の果て「北と南」とに分裂。多くの民は鎖につながれバビロンへ捕囚として連行されてしまった。

◆ある賢者は言う(箴言7:7〜12)
私の家の窓から外を見つめ、若者たちの内で思慮の欠けた一人の若者がいるのに気づいた。・・・それは”深い夜と暗闇のときである”すると見よ、一人の女が彼に会う、遊女のように装い、心に企みを持って。・・・ある時は通りに、ある時は広場に、あらゆる町角で待ち伏せしている。・・・彼女は多くの口説きを持って彼を惑わし、滑らかな唇で彼をそそのかす。忽ち、彼は彼女についていく、牛が屠り場に行くように、人が足かせにつながれて、愚か者が懲らしめられて行くように。あなたの心は彼女の道に迷い込んではならない。・・・彼女の家はシェオール「陰府」への道であり、死の部屋へと下っていく。

◆光の回復への道<わたしは光として世に来た>
”わたしの民は二つの悪事を犯した。それは生ける水の源泉を捨てて、自分たちの為に水溜。水を貯めることが無い壊れた水溜を掘ったのだ”。とエレミヤは二章13節に言う。
イスラエルは生きた水の源泉としての神から飲み、増し加わり繁栄すべきでした。然し彼らは神を捨てて、神以外の源泉に転向したのです。
然しながら、神は「あなたの造り主はあなたの夫であり」。イザヤ54:5に言い、”イスラエルの処女よ”とエレミヤを通して呼んでおられる。尚又、私の民よ、彼女の中から出よ!エホバの燃える怒りから。それぞれ自分の命を救え。新約の時代の今も、神はその声は叫びとなって”私の民よ!彼女から出よ”!。それは彼女の罪に加わらない為であり、また、あなた方が彼女の災害を被らない為であると。黙示録18:4に警告している。

◆言(ことば)は神であった(ヨハネ1:4〜5。9)
言の中に生命があった。命は人を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。<使徒行伝26:18>も併せて。
その光は真の光で、世に来て”すべての人”を照らすのである。<註>創世記の冒頭の光は天然の光であったが、ここでは命の光が言われている。
コーヘレツは最終12章に、人生に於ける総結論として身に沁みる結論を描いている。
要約すれば、人が晩年になると、目、口、腰、歯、耳等おとろえ、その後、銀の紐は切れ、金の鉢は壊され、水がめは泉で砕かれ、滑車は井戸の所で壊され、ちりはもとにあった土に帰り、息はそれを与えた神に帰る。と、空の空、全ては空である。
故に、あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、悪しき日が来る前に、「私はこれらに何の楽しみも無い」と言う年が近づく前に。

・註:銀の紐:脊椎。金の鉢:頭。水かめ:肺。滑車:心臓

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