「うそ」は「えそ」のように拡がった!

◆死と命の原点とその流れ
神の言葉「聖書」は旧約と新約から成り、膨大な一言一句が永遠に不朽の命の流れとなっている。
それは創世の時、エデンの園から一本の川ピソンの流れのように地図上では消えているが聖書の中に実は流れている。

それはちょうど人体を流れる血液やリンパの流れのように、又神経(神の通る道)が網の目のように張り巡らされて全身を統御しているのに酷似している。
その川には金、真珠、しまめのうがあり。創世記2:11〜12

イエスも商人が高価な真珠一つを見つけると持ち物を全部売り払い、それを買ったと語っている。マタイ13:45

ところがやはり地図上では見当たらない、もう一本の川ギホンも流れていた。(創世記2:13)
ちなみに四本の流れ(創世記2:10)の残る二本は現存するチグリス川とユーフラテスである。
聖書の中では二本の木となってその「間」に「人」を置いた。
と二章八節に記してある。

◆「人」「間」の中にも二本の木がある。
それは命の木(不朽)と善悪知識の木で、人は常にこの間に立ち選択、自由に価値判断し決定し行動するものとなった。
この選択の自由にこそ神が人に与えた生と死を決定する原点です。
現代も善と悪が混在し、その上知識が増し加わって(ダニエル12:4)AI時代到来と共にその価値基準を確立しない限り選択を誤る恐れが潜んでいる。

神は、人に命じて言われた。
「あなたは園のどの木からでも自由に食べて良い、ただし善悪知識からではない。それから食べる時あなたは必ず死ぬ」(創12:17)と言われた。
しばらくしてサタン(悪魔)の使い蛇がやってきて女に言った。
彼はもう一本の木の上から甘い言葉を投げかけた。
「あなたは必ず死ぬことはありません。むしろそれを食べると目が開かれ神のように善と悪とを知るようになる。」
この相反する言葉の間に立たされた女(エバ)は、その木を見ると(視覚)目に麗しく、賢くなるには好ましい(価値判断)と思われたので、その実を取って食べた。(意思決定〜味覚)又共にいた夫(アダム)にも与えたので彼も食べた。(創世記3:1〜7)
※人は眼から60%の情報が入力する。

斯くしてサタン→蛇→女→男の経路で、人の中に入り込み鬼の住まい<魂>と成った。

◆血が叫ぶ(創世記4:3〜9)
蛇によって女エバの中に注入された死の毒素は男アダムに拡がり、更にその長男カインへと波及し人類初の尊属殺人事件と成って現れた。
神はカインに言われた「あなたの弟アベルはどこにいるのか?」
彼は知りません!と<うそ>を言い、私は弟の番人でしょうか?と答えた。
そこで神は言われた。弟の声が土の中から叫んでいる、と創世記4:10節は記している。斯くして”うそ”は”えそ”のように拡がり「欲がはらんで罪を生み出す」(ヤコブ1:4)
「このようにして一人の人に依って罪がこの世に入り、罪によって死が入ってきたように死が全人類に入り込んだのである」(ローマ5:12)

斯くして地球上の全ての生き物、人種、時代を超えて現代に及び最も忌み嫌われる死が普辺化した。この現実は避けることはできない。

日本には古代から特有の文化の中、伝統があり、二月に入ると節分には”鬼は外、福は内”と言って豆まきの風習が有り、その原型と言える。
その他、人の体や家の中から厄除けや厄払いは普辺化し、数々の伝説で暗にそれらに支配されている。(童話やわらべうたにも数多く親しまれる)
この最も忌むべき死をもたらす「罪の性質」は生ける人を徐々に侵食し病や老化させ、その寿命は120年が限界であると創世記6章14節にその訳を記している。

◆一匹の蛙
古来多くの人々は死の素因を知らず、ただ漠然と受け容れざるを得ない時を経てきた!
それは一匹のカエルがぬるま湯に入れられ。徐々に更に少しずつ、その温度を上げていき、その環境が自然であるかのように錯覚させ、遂に熱い温度の中で死んでいくのに似ている。
尚又、一本の西洋梨の木がある家に移り住んだ時、春になると白い花が咲きやがて実が次第に大きくなり、熟したころポトリポトリと殆ど落ちてしまった。
その一つを開いてみると腐敗して食べることができなかったことを思い出す。
その訳は、開いてみてハッキリした。腐りかけた実の中から虫が出てきたのです。

しかしこの虫は何時入り込んだのか不思議に思い調べてみると、春の開花時に花の芯に卵を産み付けた故を始めて知り驚いた。
他の果実類も開花の時期に薬剤散布をするのを納得できた。
これら動植物の生態や習性を観察すると、その原理は人の中に何時か知らない間に”死の毒”を注入したサタンの、原点に達し始めて納得できる。

◆神は人とその妻のために皮の覆いを造って彼らに着せられたと(創世記3:21節)に記されている。
世界中の女性が頭を覆う装飾化された種々な(かぶりもの)。それは花嫁が必ずかぶる”角隠し”が明確に表している。
訳は人の中にツノがある鬼が宿っている故、隠さなければならない。
その他カトリックのシスター、イスラムの女性、又五月になると即位の様々な儀式の中に見られるであろう一つに皇族の女性のかぶりものに注視してほしい。
いずれも神聖な場に出る時必須条件として、多くの国の女性に汎化している現実の原点は、エデンに於ける女の故であることは確かなようだ。

この人の体に内住する鬼。
魂にひそむ五感に訴える甘い声に誘惑されないために、人の三部分で最も中心になる霊の声に傾聴しなければ、現代社会を無事に生き続けるのは困難な社会となってきた。

「わたしの言を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は永遠の命を得る、又裁かれることなく命(ゾーエ)へと移っている。」ヨハネ5:24〜25

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