〜悪鬼と豚〜

マルコは使徒ペテロに同行し、付き、従い忠実に歴史的順序に従って記している。
その中で特徴は、この世に昔も今尚、蔓延する体の様々な病。その原点とも言える「悪鬼を追い出す」仂きに特徴を見出す。
その中の一つがゲレサの悪鬼(レギオン)を追い出し、豚の中に入り、二千頭の群れが崖から海になだれ落ち、海中で溺れ死んだ記述がある。<マルコ5:1〜20>に詳細

◆悪鬼につかれた人の特徴
・彼らは自由がない。自分自身をコントロール出来ない。依って自分以外の力に依りコントロールされている。それは麻薬、ギャンブル、喫煙、飲酒、暴力、売春、詐欺、合法的脱税等々。
規制や法律に従わない、又表面化しないが千変万化して蔓延している。
彼らは昔も今も、世界に共通していることは海辺(低地で商業が繁盛している)にたむろしている。正にこの世は水面下では”ラスベガス化”して、荒れ果てた地となっている。
それは眼に見えない細菌、コロナに明け暮れる日々。水面下で動めく悪の力<鬼>。人の魂の中に住みつく悪鬼のなせる業と言える。
それは又、鶏二百万羽、豚コレラで何十万頭が生きたまま、殺処理される様は、ニュースで見る度に心が痛む。
十誡の第十条は「むさぼるなかれ」と言うが、正に人の貪欲は果てしない。新型コロナによるパンデミックは、終末期の様相をハッキリ示している。

◆現代思想
人の<魂>は、思い、感情、意志から成っており、<思想>の中に<鬼>が住みついている。それは経済(お金)の裏面に<思想>あるように一体である。
近代史になってマルクスやケインズは新経済学を生み出し、この世はその何れかに侵喰されている。丁度コインの両面のように一体であり、人の生と死にも相通じる。
従って人は罪の中に生き、罪の中で成長し、罪の中に浸し込まれて生き、決して切り離すことは出来ない。
その根源は<思い>が基点となっており、それに感情と意志が連動し、人は行動する。故に思想は感情を伴い行為と成り、性格を形成し、やがて運命を決定する。
その故は知情意の三部分に分かれている故に。
●肉に付けた思いは死であり、霊に付けた思いは命と平安です。ローマ8:6

◆受肉と内住の霊
神のみ子が<肉体と言う幕>に閉ざされて、この世に生まれたイエス。それは神が肉という牢獄に閉ざされ、33年半生きられた。神であり人であったイエス!その目的は人の魂が肉と成り、死に至らせる要素を断ち切る為であった。
その生き様は、罪に汚染されることなく、丁度、塩水の海の中で生きる魚の如く生き、ゴルゴタへの十字架を歩まれた生涯、誘惑と試練にさらされた日々。
勝利の歩みは人々の罪の性質の贖罪の為に、ひたすら十字架への坂を昇りつめ。死の三日後の復活。40日後に昇天を経て、信じる人々の中へ住む為に「その霊」と成られた。

◆鬼滅の刃
日本には昔から鬼にまつわる様々な風習がある。桃太郎の鬼征伐物語り。節分の豆撒き福は内、鬼は外。等は代表的で赤鬼、青鬼、緑、黒の様々な鬼が人の住む家や心の中から追い払うそれらが雄弁に物語っている。
パウロはエペソの人々に対して、”以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、そして、思いの霊の中で新しくされ・・・神に従って創造された、新しい人を着たのです”。と4:22〜24。
<その霊>による戦いは。信じる人と共に戦われる聖潔への道。この<内住の霊>こそ人と同時同存、日々、生涯ひたすら天への階段を一歩ずつ昇る路、主と二人同脚で歩む人生こそ、人の本分であり、目的達成への確たる歩みとなる。

●誰でもキリストの中にあるなら
    その人は新創造だ!コロサイ3:10

乳と蜜の流れる地・カナン

地中海と死海(海は死の予表)に挟まれた地。
その地は山が多く高地である。(この高い地と山は<復活の昇天>キリストを予表しており、その地は湧水が多くその地は動物、植物の鉱物も豊かに産出されて人の堕落後”第二のエデンの園”とでも言はれる地であった。)
アダム、エバが楽園を追放された後、アブラハムの世代になった時、堕落した人達の築いたバビロン(メソポタミア)の影響を受けた人々。
その中から神は一人の信仰のあついアブラハムを召された。創世記12章1節。「その地から・・・出てわたしがあなたに示す地へ行きなさい。」・・・そこでアブラハムは神が語られたように・・・カナンの地へ向かって出て行った。
こうして彼らはカナンの地に来た。これの予表するのは、今の信者も現在の堕落したこの世から「良き地」天の王国えもたらすことなのです。

◆あぁエルサレム。荒れ果てたカナン
ノアの洪水後、最も巨大な国となったバビロン王国。ネブカデネザル王II世は、更に西側に攻め、遂に”イスラエル王国”へと侵入した。
又数々のエピソードを刻んだ「モリヤの山」。ダビデ王の息子ソロモンが建造した神殿。それを囲む城壁と12の門、壮麗を極めた黄金の装飾美品や器物は無残にも破壊され、略奪されてしまった。
現在も一部残されている崩れ落ちた石垣、嘆きの壁の前でユダヤ教徒の祈る姿が見られる。
これらの原因となったイスラエルの民は、天地万物を創造された神から離れ、人の手で造った偶像の神々へと転向した。神の選民の状態は腐敗堕落し、揚句の果て「北と南」とに分裂。多くの民は鎖につながれバビロンへ捕囚として連行されてしまった。

◆ある賢者は言う(箴言7:7〜12)
私の家の窓から外を見つめ、若者たちの内で思慮の欠けた一人の若者がいるのに気づいた。・・・それは”深い夜と暗闇のときである”すると見よ、一人の女が彼に会う、遊女のように装い、心に企みを持って。・・・ある時は通りに、ある時は広場に、あらゆる町角で待ち伏せしている。・・・彼女は多くの口説きを持って彼を惑わし、滑らかな唇で彼をそそのかす。忽ち、彼は彼女についていく、牛が屠り場に行くように、人が足かせにつながれて、愚か者が懲らしめられて行くように。あなたの心は彼女の道に迷い込んではならない。・・・彼女の家はシェオール「陰府」への道であり、死の部屋へと下っていく。

◆光の回復への道<わたしは光として世に来た>
”わたしの民は二つの悪事を犯した。それは生ける水の源泉を捨てて、自分たちの為に水溜。水を貯めることが無い壊れた水溜を掘ったのだ”。とエレミヤは二章13節に言う。
イスラエルは生きた水の源泉としての神から飲み、増し加わり繁栄すべきでした。然し彼らは神を捨てて、神以外の源泉に転向したのです。
然しながら、神は「あなたの造り主はあなたの夫であり」。イザヤ54:5に言い、”イスラエルの処女よ”とエレミヤを通して呼んでおられる。尚又、私の民よ、彼女の中から出よ!エホバの燃える怒りから。それぞれ自分の命を救え。新約の時代の今も、神はその声は叫びとなって”私の民よ!彼女から出よ”!。それは彼女の罪に加わらない為であり、また、あなた方が彼女の災害を被らない為であると。黙示録18:4に警告している。

◆言(ことば)は神であった(ヨハネ1:4〜5。9)
言の中に生命があった。命は人を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。<使徒行伝26:18>も併せて。
その光は真の光で、世に来て”すべての人”を照らすのである。<註>創世記の冒頭の光は天然の光であったが、ここでは命の光が言われている。
コーヘレツは最終12章に、人生に於ける総結論として身に沁みる結論を描いている。
要約すれば、人が晩年になると、目、口、腰、歯、耳等おとろえ、その後、銀の紐は切れ、金の鉢は壊され、水がめは泉で砕かれ、滑車は井戸の所で壊され、ちりはもとにあった土に帰り、息はそれを与えた神に帰る。と、空の空、全ては空である。
故に、あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ、悪しき日が来る前に、「私はこれらに何の楽しみも無い」と言う年が近づく前に。

・註:銀の紐:脊椎。金の鉢:頭。水かめ:肺。滑車:心臓

王家から大工の家へ

◆三人の預言者(BC8世紀〜6世紀の初期)
・<ミカ>は5:2節に、ベツレヘムにイスラエルの(支配者)となる者が出てくる。と言い<イザヤ>は11:1に、(一つの芽)がエッサイの切株から出て、その根から出た一つの枝が実を結ぶ。と言う。(来たるべきキリストは、<ダビデ王>の父エッサイの切株から出る芽。その芽から出る枝)イザヤ11:1
しかしながら、神の選民としてのイスラエルの民は、神から離れ、堕落の坂をころがり落ち、その木は切られてしまい、切株と根だけが残った故に。
又、<エレミヤ>は23:5〜6節に、”見よ!その日が来る”とエホバが言われる。その時、わたしはダビデに一つの<義なる若枝>を起こす!と。それぞれ神からことばを託された。

◆明けの明星
イエスの父ヨセフ、母マリヤはダビデの子孫、王家の一部分であったが、貧しくなり、低い階級の人々となり、卑しめられた地、ガリラヤの町ナザレに住んでいた。
新約聖書の冒頭、マタイ一章一節に、イスラエル王国。王家の系図から始まる。初代のアブラハムから始まって、十七節までの四十二世代目に。ヤコブはマリヤの夫ヨセフを生んだ。
このマリヤから<キリスト>と呼ばれるイエスが生まれた。とある。
ローマ書が書かれたAD60年頃、パウロは一章二節に、この福音は、神が既に預言者たちを通して約束されたもので、<み子に関するものです>と言い。
又、ギリシャ人で医者であったルカも一章26節〜33節に<受胎告知>を。35節に、聖霊があなたに降り、いと高き者の力があなたを包むでしょう、それ故、生まれる子は聖なる者、<神の子>と呼ばれる。と告げている。
更にAD90年頃、ヨハネは追放され絶海の孤島パトモスで記した黙示録、その最終22章16節には。”わたしイエスは・・・ダビデの根又子孫であり、<輝く明けの明星>である!”と記している。

◆神との同一化
すべての人は母の胎から生み出されて来る。
その胎内は最も安全で、全く受身で羊水によって温められた環境。しかも浮遊状態でほぼ十ヶ月間生きる。註:アーカイブ。死海での浮遊状態をほうふつさせる。
この環境は、あたかも、神が人に備えられた”エデンの園”の原型と言える。即ち、(神と一体)胎児はそこで安定し、生長発育し、安住し、出産を経て旅立つ。母と胎児は全く同居、一体化の状態。人の世界のような境界は無かった。
そして時が満ち。陣痛なる強い力によって押し出され行く、それに伴う流動感や圧迫感。息詰まる感じを経て肺呼吸に切り替わる。
又、へその緒の切断による分離不安、恐怖感が一気に押し寄せる。そして赤ちゃんは精一杯、声をハリ上げて泣き叫ぶ!
これがすべての人が歩み始める現実の人生!
斯くして、毎日、毎週、毎月、毎年繰り返しながらやがて終息する。

◆すべての事には時がある!
生まれる時があり、死ぬ時がある。泣くに時があり、笑う時がある。愛する時があり、憎む時がある。天の下にはあらゆる事には時がある。日は昇り、日は沈み、その昇った所に急ぐ、風は南に行き、北に転じ続けて進み、やがてその巡るところに変える。
すべては空であって、風を捉えるようなものだからである。★ダビデの子、ソロモンの回想録より

◆受肉の時
言(神)は肉体(人と同じ肉体)となって、私たちの間で幕屋(宮)をはられた。(ヨハネ1:14)
神は、すべての人に、母の胎内での原体験なるエデンへの回帰。永遠の命(不朽不滅の命)を備えられた。それはイエス(人)キリスト(神)の誕生であり<受肉>と言う。

・赤ちゃんは生まれ出た時、手のヒラを握り締め生まれ出る。

しかし、死ぬ時それをゆるめる!と某は言う。

・・・荒野の果てに夕日は落ちて
    妙なる調べ天よりひびく

天からダウンロード

◆天が開けて
一人の血気盛んな若者が家出し、泊まる家もなく石を枕に一夜を過ごした時。<天が開けて>、一本の「ハシゴ」が地上に立ち、頂点が天に達している夢を見た。
そして、神のみ使いたちが昇り、下りしている壮大な光景を記している。(創世記28:12)

又、新約のヨハネ福音書1章51節に、イエスは弟子のナタナエルに言われた。「ハッキリ言っておく<天が開けて>、神のみ使いたちが<人の子>の上を上り下りするのを見るであろう」。
更に、使徒行伝7:55には、「ステパノは聖霊に満たされ、<天を一心に見つめていると>、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た」。と、夢ではなく、反対者たちの怒号と石を投げ打たれる中で、天を見つめつつ、殉教死を遂げた。
その他、黙示録4:2にヨハネは、<絶海の孤島に流刑された時>、天が開き、私は神のビジョンを見た。又、捕囚になった時、神のビジョンを見た。と、エゼキエルは1章1節に言っている。

◆ウリムとトンミム
出エジプト記には。あなたの裁きの胸当てに、ウリムとトンミムを入れなければならない。と言う。しかし創世記の始めは、神と人との間の交流は直接であったが、人は堕落の坂を転がり落ちた後は、間接的にしか交わることが出来なくなった。
そこで神は、ベスト様の<エポデ>とその上に<胸当て>を作らせ、大祭司が着用した。
ウリムの構造は、胸当ての中へ12の石があり、挿入された発光体が、イスラエルの十二部族の名の入った宝石を照らし、輝かせる構造でした。
しかし、悲しむべき堕落は拡散し、遂に北と南とに分裂し、形式的になり、儀式化し、神との交流手段も途絶え、いわゆる、宗教化してしまった。(註)バビロンに捕囚となった時代にこれは消失した。

◆新約時代<キリストの誕生以後>
旧約時代(キリスト誕生以前)。創世記で見たハシゴの夢が実際となった。それを<受肉>と言う。肉眼では見ることが出来ない神が、人の肉体をもって誕生した故です。
このキリストの誕生は、地上に住む人が死から脱出する信仰、一過性の命から永遠の命。
又、地から天へ至るハシゴ。「わたしは道であり、実際であり、命である。わたしででなければ誰も、父の元へ行くことが出来ない」と、ヨハネ14:6に言う。

人としてのイエスは、33年半の時間のハシゴを通して。それは”誕生〜十字架〜復活〜昇天”と、荒野の地から天への道を切り開かれた。
この歴史的な事実を信じる信仰。人の一番奥の間にある<人の霊>。ここにこそ天へのハシゴの起点がある。
その故は、人の<体>はいずれ腐敗する。善と悪の間を常に揺らぐ<魂>。その思いは常にゆらぎ、感情も、意志も共に連動する、風にゆらぐ川辺の葦のようだ。

◆内住のキリスト。(ローマ八章九節〜十三節)神の霊があなた方の内に宿っている限り・・・・。
キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなた方の内におられるならば、体が罪によって死んでいても「霊は義」によって命となっています。
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなた方の内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなた方の中に宿っている<その霊>によって、あなた方の死ぬ筈の体をも生かして下さるでしょう。
もし、肉に従って生きるなら、あなた方は死にます。然し、霊によって体の行いを死に渡すなら、あなた方は生きる。(共同訳)
註:<ウリム>は、照らす〈光〉としてのキリストの予表であり。<トンミム>は父なる神の<象徴・証>しとしのキリストを表している。
<エポデ>は、キリストの現れを示し。<胸当>では教会を予表する。<キリスト>は<その霊>を通して、又、十字架を通して照らす!

”その時”一人の女と男

◆女は”その時”を待機していた。
ライ病のシモンの家で、極めて高価な香油の入った石膏の壷を持って近寄り、食事の席についておられるイエスの頭に香油を注ぎかけたと、マタイ26章6-7節には言い、ヨハネは家中が香油の香りでいっぱいになったと描写している。

男は、”その時”マタイはその14〜16節に、イエスの弟子の一人、イスカリオテのユダ。彼は宮に入り、祭司長たちの所へ行き言った。
「あの男(イエス)をあなたたちに引き渡せば幾らくれますか?」。と言った。
そこで、彼らは銀貨三十枚(奴隷一人の値段)を支払った。

その時から、ユダは引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
一人の女は、イエスの葬りに備える為に。もう一人の男は、金の故にその時を待機した。

◆二つの道
預言者エレミアは、神はこう言われる。”見よ、わたしはあなた方の前に、命の道と、死の道を置いている”。と21:8節に記し。
人の前には常に二つの道が訪れる。即ち命の道と、死の道。それは神から来る。人が最初に出会った”その時”は、エデンの園。
二本の木の間に立たされた時だった。神は常に人に命か死を選択する機会を与えます。

強制は断じてしない。選択の自由が与えられている故に、人は判断する価値基準がなければ迷う。

その二者択一を迫られる時、女は高価な香油をイエスに注ぐことに。一方、男は自分の腹わたを投げ出す為に。それぞれが決定した結果でした。
即ち<命の道>と<死の道>、<生老病死>の大勢の辿る道か?永遠への道か?
聖書は創世記の始めから、黙示録の最後の節まで、各章、各節、各語に、この二つの流れを発見し、命(いのち)の水を汲み、飲むことをする時、人は永遠の命を得(え)、平安と祝福、天的な喜びがある。

一方の流れは、<死の水>を大多数の人々と共に飲み、一過性の楽しみの為に生涯費やし終わる。
人生は二つの道の選択にかかっている。

◆ニワトコの木とアケルダマ
この木は、イエスの十字架に用いられた木であったともいわれ西洋では古来から”魔法の杖”に用いられたと伝えられている。

十二使徒の一人ユダは会計として、その務めを任されており、常にイエス共に行動していた。

しかし彼は先生であったイエスを、銀貨30枚で得た金で土地を買ったのです。
その土地は方言で「アケルダマ」即ち、「血の土地」と呼ばれるようになった。と記している。(使徒行伝1:16〜20)

その訳は、マタイによる記述によれば27章3〜10節に。その頃、イエスを裏切ったユダは、イエスが有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を神殿に投げ込んで立ち去り、首を吊って死んだ。と5節に記述する。
その紐の片方をニワトコの木に結び、崖から因縁の土地へ飛び込んだと思われる。
その様は、体の真ん中から裂け、腹わたが全部出てしまった。と、それは恰も肉で包まれていた、隠されていたすべてが暴露された様を物語っているようだ。

◆その時の用い方
イエスに対して、一人は高価なナルドの香油を”その時”を逃さず用いたが、もう一人は金に執着し、それを宮に投げ捨てた。
そうして、彼も地へ投げ捨てられた故に血の畑と呼ばれるようになった。

更に亦。イエスがユダによって裏切られ、ゲツセネマの園で逮捕された時。彼はイエスに近寄り「先生、今晩は」と言って接吻した。と、マタイは26の49に言っている。
”その時”イエスと共に居た者が剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。
そこでイエスは言われた。”剣を取るものは皆、剣で滅びる”剣をさやに納めなさい。との有名なことばを残された(52節)

●その時、二人の人が畑にいると、

    一人は取られ、一人は残される。

        二人の女がうすを引いていると、

            一人は取られ、一人は残される。(マタイ。24:40)

炎と水。アルファ〜オメガ

◆消失した二つの川
神は、東の方。一つの園を設けて、造った人をそこに置かれた。と創世記二章八節にある。10節には、一つの川がエデンから流れ出て園を潤し。そこから分かれて四つの川となった。

その第一の名はピソンと言い、金のあるハビラの全地を巡るもので、その地の金は良く、又そこはブドラク(真珠)と、縞メノウとを産した。
第二の川の名はギボンと言い、クシの全地を巡るもの。と13節迄、二本の川が記されている。
然し、世界地図を検証してみると、エデンの園、ハビラとギボンの二本の川が記されていない。

再び、創世記二章14〜15節を見ると第三の川と第四の川、チグリス川とユーフラテス川は地図に見られる。その訳は、エデンの命の木を源流とした命の水を、人が飲む前に死の毒素が入り込んでしまい、その結果、命の水の川は消失してしまった。
三章24節に読み進むと、神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎の剣とを置いて、命の木への道を閉ざし守らせられた。と、園と二本の川の消失した訳が記されている。

◆この宝を土の器の中に!IIコリント4:7
この尊い器は、創世記二章では命の水を入れるための尊い器でした。然し、第四章に、アダム・エバの長子カインが、弟アベルを殺してしまった。あぁ何と言う事か・・・・之は、人の中にサタンが入ってきた結果でした。

以来、今日に至るまで、すべての人の中にハビラとギボンの川が流れるようになりました。

即ち<命>と<死>が、しかもその命は一過性の命で必ず死を見る。これに対して神は人の魂の中のあらゆる罪悪を、炎の剣で焼き滅ぼし、命の水で死を見ない永遠の命を、キリストの受肉、十字架、復活を信じる人々に与えられる。
これが真の福音です。

イエスはルカ12:49に、”わたしが来たのは「地上に火を投じる為である」”と。又、ヘブル12:29には”わたしの神は、実に、焼き尽くす火である”。と語句を強めて言う。

◆二つの機能を持つ<命の霊>(ヨハネ7:38〜39)参照
エデンから流れた<水>は、堕落後人々の中に流れ、神(金)の性質を供給し、潤し、真珠、宝石、を生み出すことを予表している。
もう一つの機能である<火>。やはり人の中に入り、堕落により、サタンのもたらした罪の性質、生来いつの間にか身についてしまった、悪の要素の数々が潜在化し、肉となった。

神は。これら一切のものを人の中へ流れ込む時、燃える火のように燃やす。”ところで、私たちは、このような<宝>を土の器の中に納めています”。とII、コリント4:7にある、この宝こそ神の化身であり、私たちの命と成って、土の器なる、価値のない、もろい、はかない器の中に入れられているのです。

◆地上で見る火と水<人の外側>
現代、人の住む地も<水>と<火>は無くてはならない二つのもの。たとえ一過性の命を維持、支える為に日々無くてはならないもの。だが水の原点(アルファ)と、火の終点(オメガ)とを想起してほしいのです。

黙示録21:7には、わたしは初めてであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。と・・・最近、日々、地上で見られる。
そして年々頻発し、拡大していく天からと地の災い。
”これらの事柄が起こったのは、私たちへの予表としてです。”とIコリント10:6に人々を戒める前例として、尚又、真理の絵として見て欲しいのです。

黙示録20:9〜10節には、”すると天から火が下ってきて、彼らを焼き尽くした。そして・・・彼らを惑わしたサタンは、火と硫黄の池に投げ込まれた”。と一方、”水は水晶のように輝く命の水の川を私に見せた”。と、このビジョンを見せられたヨハネ、黙示録22:1節に結語する。

<火>で燃やした後、<水>が来る。エデンで始めに現れた火は燃やした後、再び一本の水の流れに戻る。これが全聖書の物語です。

SPIRITUAL REALITY. WITNESS LEEからの引用

荒野の蛇・・・パンデミック

◆しるしの書
古事記や日本書記よりもさらに古い聖書。地球上の多くの人々が、福音として聞き、読まれてきた。しかし多くの人々は歴史や文学として興味を持ち、又々、<教え>の書として研究する。
しかし、もっとも重要な読み方は<永遠の命>を見出し、それを得ることです。

聖書に書かれている本質を正しく理解する為に、多くは<しるし>として、<予表>として書かれている。
新約聖書27巻中の14巻を書いたパウロは、コリントの人々に宛てた手紙。I・10章6節に。これらの事が起こったのは<予表>として、<警告>として書かれた。と12節に言っている。
それは今は無き海港都市として栄え、人々の交流が多くなるにつれて人種、宗教が混合し、風俗は乱れ、悪が横行した。
これらの原因となったのが<姦淫>と<偶像の礼拝>であることを7〜8節に書かれている。
・註:姦淫と偶像礼拝(アーカイブ2019年8月、2020年1月、5月記事参照)

これらの出来事が生々しく民数記13章〜14章に。その結果が21章5〜9節に詳述されている。更に、ユダヤ人が固有の国を持たず流浪の民となったことか、”荒野で撒き散らされた”と言い、12部族のうち10部族の人々が死滅したと。
まさに当時のパンデミックである。(ネゲブの荒野で)

◆現代の偶像礼拝と姦淫
聖書は人の住む<地>は荒野と言い、そこに住む人々を<肉>と言う。しかし多くの人々は文字づらのみを読み、もう一つの重要な霊的な意味を見失っている。
典型的な例がヨハネ8章に生々しく描かれている。それは”姦通の現場で捕えられた女”に対して聖書学者と律法に忠実なパリサイ派の人々の質問でした。
「先生、この様な女は石で打ち殺せ、と律法に書いてある、あなたはどう思われますか」?・・・イエスは”あなたたちが罪を犯したことがないものが、先づ、この女に石を投げなさい。”と、僅か30前後のことばに注意しないで読んでしまう。
大部分の人々は姦淫などしたことが無い、と他人事として通り過ぎてしまう。
しかし姦淫の霊的真意は、人々が万物の創造主となる神を離れて、人が造った神々や、この世の事物に心を奪われ、傾倒し、その対象と一体となることを意味するのです。それは十戒の、第一条〜第三条が偶像に関して、第六条が姦淫と明記しており、如何に神が最も嫌われる禁断の行為であるかが伺える。
又、詩篇73:27には、あなたは神から離れて姦淫を行う者をすべて滅ぼされます。と言う。

◆青銅の蛇
聖書の最初に出現する蛇は、エデンの園で木の上から人(女)に対して、甘いことばを投げかけ誘惑し、死の毒素を女の中に注入した。
漢字は一文字でそれを、あらわしているのに驚く!
その文字は(女)と(木)、それに(甘)から成って組み合わされている妙です。それは媒体の<媒>です。女は唯一の造物主なる神から、サタンの変身した蛇の言葉を受け入れてしまった。
即ち、姦淫の罪を犯した。結果が死を招き、恥部を、植物の葉っぱで隠さなければ、神の前に出られなかった。(創世記3:7)以来、女は子々孫々に至るまで死の媒体となった。
もう一匹の蛇は、同じ蛇でも<青銅の蛇>。青銅は裁きを意味し、十字架上でエデンの園と荒野で死をもたらした蛇を裁き、その本体なるサタンを断罪された。しかしながら、処刑は最終時代まで執行猶予されている。モラトリアム。

地球上のすべての人々の中にある罪。義なる神は一人子、イエスを贖罪(燔祭)としてささげられた。・註、アーカイブ礼拝2019.11月の記事参照

◆最大のしるしの書
聖書の最終章はヨハネの見た黙示録と呼ばれ、一般的に最も難解の書と言われる。然し、その六章には地球上で最大級のパンデミックの全容が淡々と12節〜17節に記されている。
そして蛇の最後の姿。刑の執行が記されている黙示録20:10節必見!
そして、モーゼが荒野で蛇を上げたように、それは、信じる者が皆、永遠の命を得るため。ヨハネ3:16

地獄からの叫び!

◆金持ちと乞食(ラザロ)ルカ16:19〜31節より
ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻衣を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。

この金持ちの門前にラザロという名の乞食ができ物だらけの体を横たえていた。
それは金持ちの食卓から落ちるもので腹を満たしたいと思っていた。犬もやってきては、彼のでき物をなめていた。
●註.ラザロという名の固有名詞は、イエスの比喩の中で唯一の一般の人名で呼ばれた例。

やがて、この貧しい人は死んで天使たちによって、宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれました。
金持ちも死んで葬られた。そして、彼がハデスで苦しみながら目を上げると、はるか遠くにアブラハムとそのふところにいるラザロとが見えた。
<彼は叫んで言った!>「父アブラハムよ、私を憐れんで下さい。ラザロをよこして、指先を水に浸して、私の舌を冷やさせて下さい。私はこの炎の中でもだえ苦しんでいます」
「アブラハムは言った・・・私たちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしても出来ないし、そこから私たちの方に超えて来ることも出来ない」。
金持ちは言った。それではお願いします。
”父よ。ラザロをわたしの父の家へ遣わして下さい。私の兄弟が五人います。彼らもこの苦しみの場所に来ることがないように、よく言い聞かせて下さい”。
しかしアブラハムは言った。
”彼らには、モーセと預言者たちがいる。彼らに耳を傾けるがよい”。
●註.モーセと預言者とは、神のことば(聖書)を聞く時が来る。<今や>その時である。とヨハネ5:25。

◆三本の十字架(ルカ23:32〜43)より
ゴルゴタの丘に立てられた三本の木、その一本はイエスの十字架、あと二本は二人の強盗の為でした。・・・そこで掛けられている強盗の一人はイエスを冒涜して言った。
「お前はキリストではないのか?自分自身と私たちを救え!するともう一人が彼をたしなめて言った。お前は、神を恐れないのか?同じ刑罰を受けているのだから、当然だ。しかしこの方は何も悪いことをしていない」。
そして「イエスよ、あなたの王国(楽園)に入られる時は、私を覚えていて下さい」。
するとイエスは言われた。「真にわたしはあなたに言う。今日あなたは、わたしと一緒にパラダイスにいる」と言われた。

◆宇宙での三部分
宇宙には天、地、地下(死後一時留まる場)の三部分があり、神の子イエスは<受肉>に於いて、先ず天から地に下り、<死>に於いて<ハデス>へ下られた(三日間)。
「復活」に於いてハデスから地上に40日間弟子たちと会い、「昇天」に於いて地から天へと昇られた。
イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。と使徒1:9節に記している。
これこそ、信じて後に従う者たちが、やがて通る道を切り開いて下さった天路歴程である。

◆ハデス、パラダイスについて
日本語で陰府(よみ)、地獄の王プルトニウムの訳もありギリシャ語でハデス。
ヘブル語でシェオールと呼ばれており、死から最後の審判〜復活までの期間、死者を受け入れる中立的、一時的な場所である。
従って、ハデスは時間に限定されており、世の終わりに於ける人々の復活の際に終わる。

尚又。使徒パウロはコリント(II)12章1〜4節には実に特異な体験を記している。それはハデス、即ち、イエスが十字架上で強盗に言われた言葉、パラダイスの二つの部分について。
詳細は回復訳聖書12章4節の注解によって全容が解明されている。
賢者ソロモンは言った!

財産は必ず翼を生じ、鷲のように天に向かって
飛び去る!あなたは、
それに目を止めると、それは無い。

対抗の原点<天使の反逆>

◆神のみこころとサタンの意志
<神のみこころ>は自ら存在し、永遠であり、創造されたものではない。然し、「天使の意志」は神によって創造されたもので、その天使長は神によって任命され、アダム(人)の創造以前に存在して宇宙を支配していた。
彼の高い地位は美の故に傲慢になり、その傲慢は邪悪な意図を起こし、之が<サタンの意志>となった。
その記述は、イザヤ書14章12〜14節と、エゼキエル28章。
特に2節にその傲慢さが端的に記され、12節〜15節にツロの王の美の極みの様が描かれている。又、地中海に面した港湾都市で貿易で栄えたので有名だ。ここにサタンの発祥の原点を見る。

以来、人類は洋の東西を問わず、対する国々、民族、個々人の間で争いは絶えたことはない。その現れとなったのが人類初の尊属殺人事件。アダムとエバの間に生まれた長男カインが弟アベルを殺した。(創世記四章(映画化))
すべての争いの源は、この二つの意志の間の衝突に有る。サタンの意思が立ち上がって、神の意思に敵対する以前は宇宙に戦いは無かったのです。
この未曾有の論争は神に対する天使長(ミカエル)の反逆に始まりました。(W・二一全集44巻、90篇、94篇、に最も難解と言われるこれらの項目を平易に書かれている)。

◆二人のエノク
人類初の殺人を犯したカインは「神の面前から去って、エデンの東、ノドに住んだ。・・・そして妻を知り(エノク)を生んだ。カインは町を建てその町の名を、自分の子に従ってエノクと呼んだ」。と(創世記4:16〜17節)註、放浪者、さ迷うを意味する<ノド>。

創世記五章に入ると一節から、人祖アダムの死の系図を見る。そこには”生んだ〜死んだ”が繰り返され。18節にヤレドから「エノク」が生まれ。22節に、エノクはメトセラを生んだ後、三百年神と共に歩み。息子たちと娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。(この年数は死を見ない永遠を暗示)。24節には、”エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたので、彼は居なくなった”。と単々と記している。(註、死を見ないで天に移された)

◆カインの道
中東の大河、ユーフラテスとチグリス川に挟まれた、メソポタミヤ文明発祥の地。カインと(もう一人のエノク)を先祖にもつ巨大都市。
その華麗なる文明文化は人々を引き付け、引き寄せ、商業主義によって繁栄した。それはツロの町と相似形を見せられる。
世界七不思議の一つ、巨大な空中庭園、先に襲来した、ノアの洪水から逃れるために築いた有名なバベルの塔等の遺跡は、現代に及ぼす教訓として残されている。
イエスの肉親であった弟子、「ユダ」の手紙11節には、「彼らは災いです!なぜなら、彼らは”カイン”の道に行ってしまい。利の為にバラムの誤りに陥り、コラの反逆によって滅びたからです」。告げている。

◆二元の世界
宇宙の中にあるすべての矛盾は、神とサタンの間にある敵対から来ている。その特徴は「二元」にあって命と死、善と悪、光と暗闇、真実と虚偽、秩序と混乱などの暗い、邪悪な悲惨な事件、戦いのすべてはサタンから来る。これは”対抗”が特徴でありエデン以来、現代まで続いている。

聖書の巻末、結論とも言える黙示録では、神から離れ、結合した人々のことを大淫婦(霊的姦淫)と言い、その人々の築いた町々、文化反映の都市、古代バビロンの滅亡をモデルとして後世に警告している。

「わたしの民よ、彼女から離れ去れ、その罪に加わったり、その災いに巻き込まれないようにせよ!と。十八章〜十九章四節まで延々とその様を描いている。(必見の価値有)これは現代の世相と相似形を見せているようだ」

人は肉だ!巨人(ネピリム)の出現

聖書は地球上のすべての事、物、人の原点を僅かな言葉で記している。
創世記六章一節から読み進むと、人が神の臨在から離れて堕落した歴史が淡々と描かれている。
三節に「わたしの霊は」長く人の中にとどまらない。彼は<肉>にすぎないのだ。
故に寿命は百二十才にとどまる」。と宣言されている。

その訳は、当時堕落した天使の子たちネピリム(巨人)と、堕落した人の娘たちとの不法な婚姻(情欲・淫行・暴虐)の結果であるのを見せられる。

百才時代と言われる今。アダムの系図から見ると、アダムから十代目、ノアに至るまでの寿命は、メトセラの最高969才から九代目のレメクが最低777才。平均寿命は821才となる。
ところが、この<肉>となったが故に人の命の激変した訳を知らされる。

◆ノアの箱舟
人が肉となった次の段階が続いている。扨、神は、人の悪が地上でひどくなり、すべての人の心の思い計ることが常に悪いことばかりであるのを見られた。
それで、神は地上に人を造ったことで思いを変えて、心に深く悲しまれた。
神は言われた。「わたしが創造した人を、人から獣まで、這うものまで、又、空の鳥までも地の面から拭い去ろう、わたしは、これらを造ったことを悔いるからだ」。と言われた。
と驚くべき言葉が5節から7節に見る。

更に続いて11節から、地は神の前に”腐敗”し、暴虐に満ちていた。神が地を見られると、見よ、それは”腐敗”していた。
すべての”肉”が、地上でその道を”腐敗”させたからである。
13節そこで神はノアに言われた「すべての(肉)の終わりがわたしの前に来た、地は彼らのゆえに暴虐で満ちているからだ、見よ、わたしは彼らを地と共に滅ぼそう」。と、しかし神は同時に救いへの道も示されたのが箱舟の建造である。
この一連の記述は七章〜八章に詳しく映画を見るように書き残されている。

◆ソドム、ゴモラ消滅
創世記十九章に来ると今度は火による破滅の様子が記されている。死海の底に沈むソドムとゴモラの町。
繁栄したこの町々は何故か濃度の濃い塩水(海底)で保存されている。

この町の住人であったアブラハムの甥、ロトとその家族は危機一髪で助け出されたが、その妻は消失する町々を山に逃げる途次、振り向いたので塩の柱になった。
と硫黄と火で燃え盛る町からの逃避行が29章に亘って記録されている。罪の町の特徴は同性愛の蔓延でした。

◆二人のアダム
「最初の人アダムは生きたものとなった」しかし最後のアダムは命を与える霊となった。最初にあったのは、霊のものではなく(肉)のものであって、その後に霊のものがくる。
第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。コリントⅠ 15:45〜47。

聖書の肉に対する観方は「愛する者たちよ、あなた方は、この世の旅人であり寄留者であるから、魂に戦いを挑む(肉)の欲を避けなさい」。とペテロⅠ 2:11節に。又、ガラテヤ6:8には自分の(肉)に蒔く者は、(肉)から滅びを刈り取り、霊に蒔くものは、霊から永遠の命を刈り取ります。
第一の人の中に播かれた肉の種は罪と連結し結果として死が訪れる。
罪が有る所に死があり。肉の有る所に罪があり、罪は常に死と共に有り。肉は常に罪と共に有る。

これら三つのものは決して離れることなく、人がこの一つを持つなら、三つの全部を持っています。
即ち肉・罪・死は三つに偽装してサタンは今日も訪れて来る(w・リー著 肉と霊から引用)

ローマ書の本質は、この三つのもの肉、罪、死を扱っているようだ!六章六節には罪の体と言い七章二十四節には死の体と言う。罪と死はまるで夫婦のように、罪は死を愛し、死はいつも罪に服従する。
故に人の体は例外なく罪と死の体です。

◆最強最大のシェルター
ノアの箱舟はやがて来る世の終末時、最強最大のシェルターになるキリストの予表となる。